【訃報】赤塚真人さん肺がんで死去 息子とのエピソードとこれまでの活躍

俳優の赤塚真人さんが4日に食道がんで亡くなりました。享年73歳でした。茨城県出身の赤塚さんは、1967年に映画デビューし、「幸福の黄色いハンカチ」や「男はつらいよ」シリーズなど数々の名作に出演し、その多彩な演技と存在感で、多くのファンに愛されました。そんな赤塚さん、息子さんとのエピソードが心温まる。今思い出したい名バイプレーヤーの軌跡。

目次

赤塚真人さんのこれまでの軌跡

TMDB

赤塚さんは、「幸福の黄色いハンカチ」や「男はつらいよ」シリーズなど数々の名作に出演し、名脇役として愛されていた俳優です。赤塚さんの経歴を調べてみると、その出演作の多さに驚かされました。近年では「科捜研の女」や「相棒」などにも出演していました。そして、「3年B組金八先生 第6シリーズ」にも出演されていたのです。第6シリーズといえば、上戸彩さんが性同一性障害の女生徒役を演じ話題となった作品。同世代の若手俳優が多く出演したこの作品で斉藤祥太さんの父親役で出演されていたそうです。名バイプレーヤーとしてたくさんの作品に花を添えられてきたことが、この先も語り継がれていくことでしょう。また、赤塚さんは晩年、子供たちの独立などから自分のことを考えようとかねてより興味のあった農業へ挑戦。生まれ故郷の茨城県で干し芋農家の手伝いをする姿が取り上げられたこともありました。

昭和の世代を駆け抜けた俳優、赤塚真人さん。

同年デビューの俳優さんはかなりの大御所俳優が揃っています。

古谷一行さん

岸部一徳さん

伊武雅刀さん

原田大二郎さん

息子が元暴走族から介護士へと更生

23年前、赤塚真人さんは妻に去られ、8歳の娘と5歳の息子を男手ひとつで育てることとなりました。息子は小学6年生でグレてしまい、暴走族に入り警察のお世話になることもありました。さらに、バイク事故で重傷を負い、赤塚さんに「親父 心配かけてごめんな。もう俺 真面目になるから」と謝罪しました。

それから3年後、赤塚さんは息子からのメールを受け取りました。メールには「俺、これからは介護士として働くからよろしくな!」という言葉と、介護士の認定証を持った息子の写真が添えられていました。息子の成長と努力を目の当たりにし、赤塚さんは一人号泣したそうです。

男でひとつで育て気苦労も多く、俳優業との両立は大変だったと思われます。赤塚さんは子供たちのため遠方での仕事は断り家庭を最優先にされていたとのこと。息子が気持ちを入れ替え介護士として立派に働く姿は何にも変え難い喜びとなったのではないでしょうか。

まとめ

俳優の赤塚真人さん、1977年公開の映画「幸福の黄色いハンカチ」や、「男はつらいよ」シリーズなど、多くの作品に出演し、その独特な存在感と演技力で多くの観客を魅了しました。

赤塚さんは、私生活では波乱万丈な人生を歩んできました。23年前、妻に去られ、8歳の娘と5歳の息子を男手ひとつで育てることになりました。息子はグレてしまい、暴走族に入り、警察のお世話になることも。

その後、息子は立ち直り、3年後に介護士の認定証を取得。息子からの介護士になったという報告のメールと、認定証を持った写真に赤塚さんは深く感動し、一人号泣したと言います。

2024年7月4日、赤塚真人さんは73歳で食道がんにより亡くなりました。その演技力と、人間味あふれるエピソードからもわかるように、多くの人々に愛され続けた俳優でした。昭和を彩った名俳優の方々の訃報が続き、世の移り変わりを感じさせられると共に、活躍された軌跡を辿りいつまでも作品が語り継がれることは素晴らしいことだと感じます。

赤塚真人さんのご冥福をお祈りいたします。

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